読書と記憶
最近、いろいろな人のブログを読んだり、
お金の勉強をしてみたり、プログラミングやデザインについて学んでいる。
学びのレベルはまだどれも初歩の初歩といったところで、
このブログで「〇〇すれば××になる!」といったことは残念ながら紹介できない。
せいぜい、「△△してわかった~~なこと10選」のような記事が書けるかどうかといったことなのではないか。
冒頭述べたように、多方面の内容を少しずつ勉強している最中なのだが、
その方法は、本を読んだり、ネットで紹介されているものを参考にしている。
それで「あ~これいいな~」って思うと、
書評を書いてみようかなという気になる。
書評の書き方とか全然わかってないけど、
今回は主題ではないのでおいておく。
とにかく、本についての感想とか意見を書こうと思ったのだが、
「あれ?こんなこと書いてあったよな・・・」
「あの記載はどこだっけ?」
「違う本には確かこんなことも書いてあった気がするんだけど・・・」
みたいなことが多発して、全然進まない。
一回通読しただけでは、全く書評なんて書けない。
繰り返し読んでみて、自分で納得できないことには、到底書評なんて書けない。
納得はすべてに優先するのだ。
だから、本の解説とか感想をたくさん書いている人は、
たいへん頭が良い印象を持っている。
繰り返し読んだ本ってそんなにない気がする。
マンガならあるけど、小説だと格段に数が少なくなる。
真っ先に思い浮かぶのは「阪急電車」と「家日和」だ。
この二冊はかなりの回数読んだはずなのだが、
それでも内容の詳細は忘れてしまっている。
覚えながら読もうと思っているわけではないのだが、
記憶力が落ちたことを実感する。
まあでも、読書の目的は、
あくまで本を楽しみたいからであって書評を書きたいからではない。
書評を読もうと思ってから、読書をはじめようとすると
没入感がなくなるんじゃないかと思ってしまう。
「ここはこう書こう」とか頭の隅で考えてしまって、
集中できないんじゃないのか。
読書感想文もそういう類のものかもしれない。
感想ありきで読書をするから嫌なのかもしれない。
本は読みたいから読むのであって、
覚えるためでも感想を生み出すためのものじゃない。
最近本を買いすぎて読めていない本を見ながら
そんなことを考えた。