生産能力を持たない怖さ
0から1を生み出すことは本当に難しいし時間もかかる。
化学における合成しかり、料理もそうだし、形ある製品(自動車、電車、飛行機等)など、モノをつくりだすということは、労力・時間・お金を必要とする。
最近、自分が生産能力を持たないことに気づいて恐怖を感じている。
学生時代は化学系で、ある分子をつくってその分子の性能評価を行ってた。
分子の設計も作成も評価もすべて一人で行っていたので、計画の遅れも自己責任であるし、性能が悪くても自己責任になる非常に厳しい世界だった。
しかしながら、すべて自分ひとりで完結させられるので、
モノづくりの流れを理解することも出来るし、
分子のどこをいじれば、性質がどう変わるかという勘が身につく。
仕事では、学生時代のように合成は行っていない。
会社では、モノづくりのごくごく一部を任されて、分業体制に組み込まれる。
そうなると、ある一点しか技術は身につかない上に、
自分の前工程や後工程がどういう作業をしているのか、なぜ行っているのか、
どのように使われているのかがわからない。
その仕事を行っている人に話を聞くということはできるけれど、
やはり、実際に自分で手を動かさないことには、身につくものではない。
プラモデルの作り方の話を聞くだけで、実際に組めるわけじゃないのと同じような感覚ではなかろうか。
そうなってくると、やはり不安に思うのだ。
会社に依存するしか生きられないのではないか・・・と。
そうはなるまいと、
HTMLやCSSのようなプログラミングを触ってみたり、
配色の本を買ってみたり、
投資やお金の勉強をしてみたりしている。
どれも、今年になってからちょっとずつやっているので
有名ブロガーの方々のページを見てしまうと、「すげー」としか言えない
レベルなのだが、それでも学ぶしかないのだと思っている。
学生時代の話になるが、
合成と分析の両方を出来る人と、分析のみをやっている人では
決定的に違うことを思い知ることがあった。
分析のみの人は、分析するモノがないと何もできないのだ。
結果を出そうにも、分析するモノがなければ実験すらできない。
その点、合成と分析の両方をできる人は、分析するモノがなくなるという不安はない。
(ただし思い通りに合成が進まなくて苦しむことはよくある)
以前、他の人からサンプルを頂いて分析する予定が、
サンプルが到着しなくてひどく焦っている友人がいたのを見た時、
「生産能力を持たない者は、生産する者に強く依存してしまう」のだと思い知った。
だから簡単なことでも、0から最後まで完結させる能力を持つことは非常に
重要だと考えている。
ブログを一記事書きあげるとかでも良いし、
youtubeに動画を挙げられるとか、
さらに言えば、それらを副業として昇華して、
目標とする金額まで稼げるようになったりすれば、
それは「生産能力を持っている」と胸を張って言えると思うのだ。
不安と、新しいことを学ぶ楽しさが入り混じったような気持ちで
日々過ごしている。