トシ丸の自由帳

人生、可もなく不可もなく。

〇〇をして何になるの?という疑問に対して、二つの視点から考えてみる

はじめに

先日のこと、

「いまさらプロになるわけでもないのに、チェロなんて習ってどうするの?

と言いだすママ友」

のツイートが話題になっていた。

 

おそらくこれを言ったママ友は、

「あなたの人生でそれが何の役に立つの?」とか

「それでお金が稼げるの?」とか

「それは何の目的でやるの?」

という意味を含んでい言ったと思われる。

 

これについて思うところがあるので書いてみる。

 

 

 理系学生・研究者視点から

 

「これ、何が面白いんだ?」

 

何回言われたことかわからないこのセリフは、

私が学生のころに指導教官から散々言われたものだ。

 

自分が、正しい・面白いと思って進めた研究を、

「これ、何が面白いんだ?」と聞かれる苦しさはもちろんあるのだけど、

別にこれは相手を苦しめようとして発している質問ではなくて、

純粋な疑問だったり、あるいは学生を成長させようとして発するものだったりする。

(苦しめようとしてる意図を感じるときもあったが・・・) 

 

研究に従事している者は、

その研究目的を明確に述べることが出来なければいけない。

目的が不明瞭のまま実験をしても徒労に終わるだけだし、お金もかかる。

そのまま発表をしても、「あなたは何をしたいんですか?」と

詰められるだけである。

 

研究とは目的あってのものであり、

目的がないまま行った研究は、もはやそれは研究ではなく遊びである。

 

だから、

〇〇をして何になるの?という疑問がきたら、

「いやそれは△△という理由が××という結果をもたらすと考えたからだよ」と

答えられなければならない。

 

 

と、つい、学生時代のことを思い出して上のようなことを考えてしまったのだが、

今回話題になったツイートは、もちろん研究者ではないと思うので、

一般的な考え方をしてみる。

 

 一般人の視点から

誰に言われるかにもよるのかもしれないけど、

会話の途中でこのようなことを言われてはいい気がしない。

 

よほど仲の良い人だったら、

「え~楽しそうじゃん」でも

良さそうだけど、

 

普通の友人とか同僚とか知り合いだと、

「楽しそうじゃないですか」と答えても

 

「お金かかりそう」

「うまくなるのに時間かかりそう」

「どこで演奏するの」

などなど、否定的なコメントから入られそうな気がする。

 

こちらとしては「楽しそう」だからやるのであって、

それ以上でもそれ以下でもない。 

 

研究者のように、相手にチェロを習う目的を説明して

納得させる必要なんて全くない。

 

好きだからやる、楽しいからやるでいいのではなかろうか。

もちろん他人に迷惑をかけない範囲で。

 

 

 

ちょっと話は変わるが、

ドラゴンボールで、17号が

なんども言うなよ、そのムダが楽しいんじゃないか

と言う場面がある。

 

自分たちは空を飛んで、数分で目的地に行ける力があるのに、

あえて車で時間をかけて行くことを17号は選んだのだ。

あえて無駄を楽しむ余裕とゆとりが17号にはあったし、そこが人間っぽいと

言われていた。

 

今回のママ友は、チェロをやることが無駄でしょうがないように思えたのだろう。

だけど、チェロがやりたい人にとっては、それはムダとも思ってないし、

自分がやりたいからやる、というだけだ。

 

そういう感性を持ち続けていれば、きっと人生楽しいに違いない。

 

 

 

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